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みなさんはじめまして。
私は2009年の1月のMaryseの生徒で麻衣子と申します。私は日本でフレンチレストランに勤めていました。以前から、よりフランス料理を理解するために、と思いワーキングホリデーによる渡仏計画を立てていました。そしてついに念願が叶い、2008年12月に出発が決まりました。
約1年半ほどフランス人の先生にフランス語を習っていましたが、わたしが日本で習っていたフランス語は本当に初歩。文法も本当にいくつかだけでした。なので日本から申し込みをするにあたり、Maryseに送っていたメールも知っている文法を駆使して辞書を片手に作成していました。もちろんその時点でMaryseには、わたしがどの程度勉強したのかはもちろんわかっていたと思います。
私は3週間のレッスンを選びました。まだ行ったことはないもの、フランスの魅力が田舎にあることは理解していましたし、なによりもワイン産地にちかいブルゴーニュ地方に滞在できるというのは、それだけでも嬉しかったのです。
Maryseの授業を申し込むには、フランス語のレッスンの最初の70時間を修了していること、という条件があります。わたしがそれに該当するのか、非常に悩みました。
一般的な70時間相当がどの程度まで勉強するものなのか分からなかったからです。この点はMaryseに聞きました。このレベルで大丈夫でしょうか、と。Maryseの返事は大丈夫よ、とのことでした。
何よりもMaryseはプロですから、私のメールを見てどの程度勉強しているのかはわかるだろうと思いました。
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そうして始まった私のChez Maryseでの滞在ですが、やはり私の基礎というのは基礎と呼べる状態ではなく、かなり辛い場面もありました。レッスンは朝食の時間にで前日習った事を質問にしてMaryseに話すところからです。しかしこれがなかなか大変でボキャブラリーの少なさが浮き彫りで毎日すごく悩みました。日本人がフランス語を勉強するというのは大変なことです。しかしMaryseは日本人にフランス語を教えるプロであり、日本人の性格や癖をよく理解してくださっています。その点で私は非常に安心して授業を受けることができました。
その後9時から12時までレッスン。毎日のランチはMaryseがフランスの家庭の味を日替わりで用意してくれます。エスカルゴもラパン(うさぎ)も、ブーダンノワールもテリーヌ・ド・サングリエ(いのしし)も、どれもとてもおいしかったです。わたしはフランス料理を仕事にしてますので食べられない物というのは全くありませんでしたが「食べられないものはない?遠慮せずに言ってね」ととても気遣ってくれました。そして食事中にMaryseが話してくれるフランス人の生活や、パリと田舎の違い、食生活や文化、歴史は私が一番知りたかった事でした。それを手料理をいただきながら聞けることがとてもうれしかったです。

わたしが訪れた1月は非常に寒く、雪も積もりました。なので道が滑って危なく、外出できない日もありましたが、勉強だけでなく、観光にも連れて行ってくれます。しかも、普通の旅行だと車がなくては難しい場所ばかりなので、まさにChez Maryseに滞在する人の特権だと思います!!しかもMaryseはすごく丁寧に訪れる場所に関する事も教えてくれましたので、非常に楽しめました!
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勉強は3週間の滞在で、文法のほとんどを学ぶという内容で、初歩な勉強しかしたことのなかった私の頭は毎日かなりオーバーヒート状態でした。Maryseは勉強のしすぎはいけない、とよく言ってました、きちんと散歩する時間も取って、脳にとって効率のいい勉強時間の取り方も教えてくれました。

冬の空気は冷たかったのですが、とてもきれいな空気に癒されました
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Maryseは熱心に発音矯正や、冠詞の間違い、時制や活用の間違いを訂正してくれます。「なんでもいいから思ったことを口に出してみなさい」とよく言われたのですが、なにをしゃべればいいものやら・・・知っている言葉の少なさを痛感しました。こんなに出来の悪い生徒は今までいたのだろうか。Maryseは私が本当に出来が悪いので困ってるんじゃないのかと思うこともありましたが、Maryseは私がつまずくたびに
「大丈夫、あなたはいい生徒だから。きっとできるようになるわ。がんばりなさい」
と言ってくれました。そう言ってくれるたびに、がんばって喋れるようになってMaryseに恩返しをしなくちゃ!!と思いました。

わたしがここでMaryseに教わった一番大事なことは
「きちんとしたフランス語を勉強しよう」
と思うようになったことだと思います。このレッスンの後、私はパリに移り住み、Maryseが薦めてくれた学校へ通うことにしましたが、これもきちんと勉強して、いつかMaryseにフランス語ができるようになることで恩返しがしたい、と思ったからです。そして、私が本当に苦心していた発音ですが、Maryseは「ゆっくりでいいからきちんと発音しなさい」と言って何度も何度も私の発音を直してくれました。そしてびっくりなことに、最近学校で発音を褒められるようになったのです。それからは何かを声に出して読むことがとても楽しくなりました。まだまだ会話は難しいですが、フランス語との長いお付き合いの最初にMaryseと出会えた事は幸運だと思っています。

わたしはChez Maryseで誕生日を迎えました。当日は言えなかったのですが、後から誕生日が過ぎたことが分かり、なんとMaryseはサプライズでケーキを用意してくれていたのです!!!
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もうびっくりしすぎてちょっと泣きそうになりました!

Maryseのお家で勉強し、滞在した3週間は一生忘れることのできない思い出になりました。そして今からパリ生活をする私に「これだけは気をつけて」と色々な話をしてくれました。

ここで私が学んだことは語学だけではありません。フランスの文化・歴史・風土。フランス人の生活。何よりも人と人の触れ合いや助け合いを感じることができました。Maryseには本当に感謝してもしきれないくらいの気持ちでいっぱいです。みなさんもぜひMaryseに会いに行ってみてください。
Maiko
2009.03.27 Fri l コースの紹介 l top ▲
まず、私とフランスの関係から

2003年の初夏、渡仏。留学の大きなきっかけなんてなく、日本以外の土地に住んでみたかっただけ。いろんな偶然やタイミングが重なり、Maryse のパリ1区(当時)の家に行くことになった。Maryseの家で、4週間仏語漬けの生活を送ればぺらぺらになれる、なんて本気で勘違いをしていた私は、渡仏の前に少し集中的に勉強しただけで、Maryseの授業に参加してしまった。当時既に2人の学生がいて、元々の仏語の勉強量やフランス文化の知識などで彼女達とかなり差があったので、めげそうになった。しかし本来の負けん気の強さで必死に4週間勉強した。4週間が早かった。その後はMaryseの家を離れ、2ヶ月間南仏のモンプリエで勉強した。モンプリエでは南仏特有のゆっくりした時間が流れていて、仏語の生活も少し楽しめるようになってきていた。パリに戻ってきてからも、日本人とほとんど交流することなく、仏語の勉強をした。ほぼ満足な自己表現ができるようになるまで、1年はかかった気がする。『言葉』という当たり前なことができないことがくやしかった。その時の目標は『普通に生活すること』だった。そう、日本にいる時のような言葉に不自由のない生活。この時期は私の人生で一番勉強した時期だったと思う。
時が経ち、フランスの嫌いな部分も含め、フランス生活が心地よいものになってきていたが、渡仏の時と同様、いろんなタイミングや偶然、縁から、3年間のフランス生活を終了し、2006年9月に帰国した。




- Maryseについて
おそらくここを訪れる誰もが思うことだと思うが、彼女は『ザ・フランス人女性』。絵に描いたようなフランス人女性(?)で、チャーミング。Maryseの授業を終了してからは疎遠になってしまっていたが、最近、これまた何かの縁でコンタクトを再開。やはりMaryseはMaryseのままで、うれしくなってしまう。
先生として、女性として、人生の先輩として、また友人として、Maryseの魅力に取り憑かれている人は多いと思う。私のそのうちのひとりであることには間違いない。


- Maryseの授業について
私のように愚かな人はおそらくいないかと思うが、彼女の授業を有意義にするためにも、事前の仏語勉強が必須となる。
語学を勉強していると、始めのうちは楽しくてぐんぐん上達するが、途中で伸びに悩む時がくるかと思う。個人的には、その時期に彼女の授業を受けることをお勧めする。Maryseなら必ず手助けをしてくれるだろう。


- Maryseの言葉
フランスにいる間中、常に頭から離れなかった一文がある。ことあることにそれを思い出し、言葉の意味をかみしめていた。ここに引用させて頂く。

フランス式が最高だと言うつもりは毛頭ありません。何処の国の風習もそうである何らかの理由があるのだと思っています。あなたが滞在している間、裁こうとしないでください。比較しないで受け入れてください。時が経ってあなたの祖国に帰られてから、フランスでの生活が何をあなたに残したかを思い返すでしょう。外国での生活を通して人は知らなかった自分に出逢うのです。


- 帰国後のこと
渦中にいる時は見えなかったことが見えてきた。当時は、“フランス生活” にあまりにも集中していたから。日本での "再生活” なんて想像もつかなかったけど、なるようになるなと思う。
現在東京で、フランスに直接関係する仕事についている訳ではないが、フランスで培った考え方、フランス文化、フランス語、フランス人の友達など常に自分の中で “フランス” は生きている。
何をするにも自分次第だと思っていたし、自分がどうありたいのか、その時に周りの人や環境、縁、運、タイミングなどでうまくいく時もあればいかない時もある。しかし努力は実る。たとえその時実らなくても、後からさまざまな形となってくっついてくる。


今、改めてフランスを訪れてみたくなってきた。(Ryoko)


2008.10.05 Sun l 女性達の生活 l top ▲
私は本当の意味で、「初めて」出会ったフランス人女性がMaryseでした。これは、例えば、ちょっと日本のフランス語学校などで先生として会ったというのではなく、初めて、心の言葉も使って会話ができたかな、と思えた最初のフランス人の女性だったということです。それで、最初は「こういう人が、フランス人女性なんだ」と思っていました。しかし、フランスで生活していき、多くのフランス女性とも話す機会を持っていくうち、MaryseがMaryseであり、スペシャルな人なんだ、と感じるようになりました。それは、Maryseの女性としてのチャーミングさ、時々はお母さんのような優しさ、フランス語の先生としての素晴らしさ、なども去ることながら、毎回Maryseと再会するときに、やっぱり笑顔になってしまう、魅力的なひとに会ったときに肌で感じてしまう、嬉しさです。皮膚の穴が開く、しゃべりだす、そういう気持ちにさせてくれます。
初めて、パリでMaryseの授業を受けたときは、フランス語もカタコトで、毎回の授業に、パリの生活に、ドキドキ、でも初めてのことばかりで、楽しくて仕方がなかったと思い返します。今思えば、あのMaryseとの授業が、フランスとの出会いの第一歩、全てはあそこから始まったのだなと思ったりします。
パリの服飾学校に入る前、AnnecyのMaryseの友人宅で、2ヶ月生活するという機会がありました。フランス語会話に慣れていない私が、パリでいきなりフランス人ばかりの学校でやっていけるか心配し、Maryseが提案してくれたのでした。Annecyという町は、湖で有名で、スイスの近くに位置しています。Annecy湖近くの旧市街は、とてもかわいらしい町並みで、歩いているだけでも楽しいものでした。
Annecy ville

迎え入れてくれたファミリーは本当に愉快でアーティスティック、こんなにも面白い人たちなのに、言いたいことが思うように話せなかったのは、最初のうちもどかしい思いもしましたが、そんな私でも、常に暖かく接してくれて、一緒にいろいろなものを見て、人々に出会いました。人々だけでなく、たくさんの自然とも出会いました。ファミリーの家は、Annecyの町から車で20分ほどの山の方にあり、夏だったので、庭にはたくさんのプルーンやアプリコットが実っていて、溢れるほど収穫してはそのまま食べたり、ジャムにしたりと、そのおいしかったこと!また、家のすぐ後ろは山で、皆でキノコ狩りにもよく出かけました。真っ赤な巨大ナメクジと出会ってギョッとしたり、同じような色の毒キノコも見たりしました。また、家からちょっと車を走らせれば、牛がごろごろいて、窓を開ければ、ぷーんと・・・思い出すととても懐かしくなります。
Annecyでたくさんのフランス人と話す機会があってか、パリの学校生活は、まわりの仲間とわりとすぐに馴染むことができ、100%フランス語だけの授業についていくのは大変でしたが、刺激的で楽しい毎日でした。想像するに、日本の服飾学校とはまるで違う雰囲気、授業の進め方などでも、例えば、裸体デッサンにしても、私が日本で受けたそれとはまるで違い、毎週違うモデル、例えば、全身に刺青がある黒人のコンテンポラリーダンサーが常に踊りながらポーズを取ったり、おなかが何十にもなった太ったよくしゃべるおばさん(先生はこのモデルを「たわわに実ったぶどうだ、ぶどう」、と繰り返します)、はたまた、しわしわのおじいさんがやって来たりとバラエティーに富み、使う道具も、自由だったり、自分で発明してこいだとか、左で描けとか、時には動物園へデッサンへ行ったりしました。また、毎年恒例の、パリのCirque d'hiverという古く、内装が真っ赤の素敵なサーカス場で行うファッションショーはとてもユニークで、全学年生徒がさまざまなテーマの中、個性的な服を創作し、発表します。私個人的には、2年生の時の、「シャム双生児」というテーマのものに作った作品が印象的です。実際につながった服を作り、双子のモデルを探すのに苦労し、大変だったけれど、見てくださった方々にも好評で、やりがいがありました。
Siamois

また他のグループでは、モデルに、おじいさんおばあさんたちを起用した、カラフルで楽しいショーがありました。聞くところによると、彼らは「la joie de vivre」という名前の老人ホームでモデルを探したとか。まさにその名の通り、愉快で素敵なおじいさんおばあさんモデルたちは、カラフルなニットを着て、サーカス場で踊りながらショーをし、見ているこちらまで楽しくなりました。拍手喝采、皆が笑顔に包まれたひとときでした。
joie de vivre

フランスでの留学生活では、本当にたくさんの出会いがありました。感謝したい人々、物々、場所がたくさんあり、これから、どう生かし、お返しができるか、課題はいっぱいです。( Aya )
2008.07.08 Tue l 女性達の生活 l top ▲
Maryse, Nobuko et Mayumi_convert_20080520155956


こんにちは、Mayumiです。
私は2008年2月までパリでエステティックを学び、4月に日本へ帰国しました。
パリでの生活は2年半、しかし度重なる学業やインターン、パリ以外の田舎を知らずにいました。
もう間もなく帰国する、ということで3月に10日間、東京の母を呼び、レンタカーを借りて10日間ブルゴーニュを旅行しました。

3月25日火曜日、この日はSemur-en-Auxoisを観光した後にFlavigny-sur-Ozerainに宿泊するはず、でした。Flavignyに着いた頃にはお昼の時間でしたが、予約を入れていた宿はおろか営業しているカフェなど1軒もなく、しかも通りすがる人もなく、30分あれば充分探索出来てしまった。この頃3月後半にも関わらず日中平均気温5度でじっと立っているだけだとかなりキツい。しばらく時間をつぶしてから宿に戻ろうとセーヌ川源流までドライブする事に。この辺りはまだ雪が残り寒いながらも、いつも眺めてきた澱むパリのセーヌから思いも寄らぬ程澄み切ったセーヌの水辺に心を洗われた。

午後5時、雪道ドライブを終え、予約していた宿に戻る。
私は全て、宿泊する前日に宿に予約の確認を入れていたので、夕ご飯も一緒に予約しているからまぁ夕方には戻るだろうと思っていた、ら、なんと留守!
しつこくドアを叩く私に隣家のおじさまが「そこは火曜休みだよ!」と怒鳴る。
「なんでよ!昨日電話で確認したもの!休みなワケないじゃない!!」と私はブチ切れ。
おじさまあきれ顔で雨戸を閉められ、ふてくされた私は先方に電話を入れるが、、出ない。
相手の留守電に「私はココにいるのにあなたは留守だから他に行きます、さよなら」と残す。
唖然としている母を目の前に、さて、私たちはどこに行こう、とその時、

「こんにちは」
日本語で、通りすがりのMaryseさんとChihoさんに声をかけられた。
ここでどうかしましたか?とチホさんに尋ねられ、宿の前で行き場を失った一部始終を話した。
チホさんはマリーズさんに説明し「あら〜なんて事、寒いのに。。」ハイ寒いです、と思っている間マリーズさんとチホさん少し話し合い、そしてチホさんから

あの、もし私がステイしているお部屋でよかったら、少し場所を移ればお二人のスペースが出来ますから、今晩一緒にいかがですか? とお話いただいた。
私は、いえいえいえいえ!!!!そそんな、滅相もない!と驚きまくってたが、確かに今夜泊まる宛のない事も確か。。
いえいえ気になさらないでください、マリーズさんはいままで日本の学生さんとたくさん交流されていて本当に好意で仰ってますから、ぜひ。と、チホさん。

と、突然ながらマリーズさんのご好意に甘え、Semur-en-Auxoisへ戻る事に。
マリーズさんのお宅はSemur-en-Auxoisにある12世紀頃?の修道院を改修して住居とされている。
史跡の中にある居住空間、そこはとても想像力があふれてくる空間でした。

チホさんはロンドン在住、休暇をマリーズさん宅で過ごしていて翌日ロンドンへ戻るとの事。
チホさんのお部屋を整理して別のお部屋に移り、母と私がそこにステイさせて頂きました。
チホさんにとっては滞在最後の夜なので、街で夕ご飯を食べにいこうと夜のSemurへ繰り出す。
街へクルマで向かう間、マリーズさんは目に入る建物それぞれ中世の歴史があり、かつ、不動産価値にしたらパリの18、19区といった移民の多い地区に小さなアパルトマンを買うお金でこちらでは充分広いメゾンが手に入る、といった感じの切り口でいろいろと教えて頂きました。
ディナー、またその後のティータイムでも女性4人、これまたいろいろと話は尽きず、チホさんのSemur滞在、この日の宿のトラブルだけでなかった母と私の珍道中での出来事、私のパリ留学生活にマリーズさんの東京、パリそしてSemurでの生活などなど、気がつけば夜更けまで話がとまりませんでした。

翌朝9時、美味しいコーヒーにパン、そしてウメ、ルバーブそしてアプリコットの自家製ジャムを囲んだ朝食。この間マリーズさんは、ブルゴーニュでは季節に応じてモリーユ茸やエスカルゴを採り自宅で仕込みをすることを聞き、豊かな自然と共生するブルゴーニュでの暮らしを垣間みました。
朝食後、マリーズさんのお宅のお庭や自然菜園、アトリエ、改装中のサロンや大家さんの居住スペース、そして元々は修道院と思われる特徴などを説明して頂きました。建築様式を変えずにいかに快適な居住空間を作り出すか、、国の許可がなければ私有地であっても勝手に手を加えられない頑さが、千年近く景観を変えない街を作り出すんだなぁと感じました。

マリーズさんは、豊かな自然と時の流れに共生しながら歴史あふれる空間に暮らし、それを伝える仕事をされています。
私はこの素敵な偶然に感謝し、東京で頑張っていきます。
それではいつの日か、また。
2008.05.20 Tue l 女性達の生活 l top ▲
La petite classeと同様のレッスン(先生の自宅で一緒に生活しながらのプライベート形式レッスン)は、フランス国内の数カ所で提供されています。
ですが、その中でわたしと同様に、
「外国人に対するフランス語教授法を学び」、さらに「日本を含む外国のフランス語学校での、外国人に対する『先生』としての経験を持つ」フランス人が提供しているレッスンは、実はそれほど多くないのが現状です。
残念ながら、フランス語教師としては無資格なのにフランス語が母国語だというだけで先生をしていたり、また外国のフランス語学校で教師ではない仕事をしていたフランス人が、フランスに帰国しわたしと同じ方法のレッスンを提供する、というケースが現実に存在しているのです。

そこで、これからフランスでのレッスンを受講されたいと考えているみなさんに、大事なポイントとして以下の確認を必ず行っていただくことをお願いします。
受講しようとしている先生の経歴欄で、
1)外国人に対するフランス語教授法の有資格者である
2)日本あるいは他外国での、ある程度の長さ以上のフランス語教授経験がある(学校の運営やレセプションなどではなく、「教師」として働いていたことも要確認)
という2点を、必ず確認すること。(例として、わたしの経歴欄をご参照下さい。)
みなさんの大切な時間とお金を無駄にしないために、またフランス滞在を充実したものにするためにも、先生を選ばれる際には必ずこのお願いを気に留めておいて下さい。
2008.03.31 Mon l 大切なお知らせ l top ▲
Avril 2007----Chiho
わたしは2007年4月に、Maryse先生の3週間ホームステイに参加したChiho
(34歳)です。フランス語は2006年の6月からプライベートレッスンで勉強をはじめ、Maryse先生のコースを受講するまでには70時間強のレッスンを受けてから参加しました。

1) ホームステイ先  chez Maryse
Maryse先生の自宅であるホームステイ先は.古い修道院だった建物の内部を改装したものです。
Semur-en-Auxois は、パリから1時間強という近距離にあるということを忘れてしまうような、中世からの歴史ある建物に囲まれたとても静かで美しい街でした。
独立したベッドルームを使わせていただき、毎日の授業の予習・復習に集中するのにぴったりの環境を整えていただきました。
朝や授業の合間など、外の景色を眺めて心が安らぐこともしばしばでした。
こういう環境に滞在できる機会は滅多にない!とうれしくなりました。

2)朝食・昼食    les repas de Maryse 
 
朝食はシンプルにパンとコーヒーを、昼食は毎日違ったフランスの家庭料理を振舞ってくださいました。
朝食時には、前日までに習った内容の復習・練習を兼ねて自分で考えてフランス語を使って話をしなければならず、このプレッシャーは結構きつかったです(笑)
だんだん慣れてくるにつれて、やはり考えながらなので食べる手は止まってしまうものの、間違えても恥ずかしがらずにフランス語を話し、それを先生に直していただくことで「なるほど」と再度習った内容を確認できることを実感できました。食べる手が止まっていると「ちゃんと食べて!」と気遣ってくれました。
昼食時にも同様に、フランス語のスピーキングを練習しながらいただきました。
朝食後のレッスンの合間を使って準備して下さるのですが、すごい手際の良さに感心しました。Maryse先生は常にわたしがおいしく昼食を食べられているかを気にかけてくれて、献立も毎日違ったものを準備してくださいました。
献立の内容は、「フランス人ならみんなが大好きで家庭では頻繁に食べられている」のに
「レストランでは見かけないようなメニュー」を、日本人のわたしたちに紹介しようと考えて下さっているのだそうです。
食事をしながらフランスの食文化や食品の貯蔵法、食事の順番やワインとの組み合わせなど、いろいろな話をして下さり、フランス語だけでなく広範囲で学ぶことができたと思います。

3)Maryseのもてなし l’accueil

Maryse先生はとても知的で、話題の豊富な女性です。
日本やフィンランドなどで自分自身も海外生活を体験しているので、海外に来て勉強する生徒への気遣いも人一倍だと感じました。
博識な方なのでもしかしてちょっと近寄りがたいのかな?と先入観を持ってしまっていたのですが、いい意味で人間味にあふれた、とても魅力的な方です。
授業の後に連れて行って下さった教会や古いお城では、その建物や土地にまつわるいろいろなエピソードを細かく紹介してくれ、フランス語だけでなくフランスという国や文化にもますます興味を持ちました。

食事への気遣いだけでなく、ホームステイ生活についてもたびたび不自由はないか気にかけてくれており、本当にありがたかったです。
4)授業   les cours
4月というタイミングが良かったのか、幸運にも私一人で受講することができました。
そのため、わたしの理解の度合いを見てフレキシブルに内容を組んでくださり、弱い点については繰り返し説明してくださいました。
インテンシブコースを受けるのはまったく初めての経験だったので最初は思った以上に疲れましたが、Maryse先生の授業の内容はポイントがわかりやすく整理されており、「なるほど」と理解して自分で使うことができました。
Maryse先生は日本人への教授経験が長いため、日本人の長所・短所をつかんだ教授法を自分で工夫して実践しています。先生のプロフェッショナルとして、間違えたときには鋭い指摘が飛びますが、この繰り返しによって理解した内容を実際に自分で使えるレベルにしていけるのだと実感しました。
生徒が頑張った分Maryse先生もそれに応えて頑張ってくれるので、信頼してついていける安心感を自然と持つことができ、最後まで頑張って勉強することができました。

5)織物教室(オプション) le stage de tissage
D8--stage Chiho-0407


職業としてファッションに関わる仕事をしていたため、ホームページで紹介されていた織物教室に興味を持ち、有料で週3回・全36時間の実習を受けることにしました。
オプションのコースは全て先生方のご厚意で、Maryse先生のコースの受講生向けに特別にアレンジしていただいているものなのだそうで、他のルートで日本人が申し込んでも受講できないのだそうです!
織物の先生はAlgranateさんという方で、関西を中心に日本の会社ともビジネスを持っていらっしゃいます。
織物の経験が全くない上、フランス語でコミュニケーションを取らなければならないということで、Algranate先生にとっても教えるのに根気の必要な実習生だったと思います。
ですが、先生は丁寧に一つ一つの専門用語や工程を説明してくださり、わたしが理解できないときは単語のスペルまで一点一点教えてくださるという、とても優しい方でした。
織物は、機織の準備も含めて集中力の必要な作業でしたが、1〜2色の縦糸・横糸を使って単純なパターンを繰り返すだけでこんなに違う表情の布が織りあがるのか!と、とても楽し
んで毎回の作業を進めることができました。1回4時間の実習は長いように聞こえるかもしれませんが、実際は毎回あっという間に時間が過ぎてしまうくらい集中することのできる充実した内容になりました。
フランス語の勉強だけで手一杯かも、と最初は尻込みしていましたが、朝は頭を働かせ、午後は雑事を忘れて体(実際は手ですが、)を動かすというのは、わたしにとってはとてもバランスの取れた時間の使い方になったと思います。フランス語を使うことを実践するのにもお勧めです。
2008.03.31 Mon l 学生の体験記 l top ▲